緋色の月、翡翠の華

  序

 夏も盛りのある日。幻想郷に存在する神社、博麗神社にて。

「……ん?」

 楽園の素敵な巫女、博麗霊夢は箒を片手に訝しげに空を見上げた。

「まさか、また……?」

 鋭く細められる瞳。その先には、昼間であるにも関わらず紅く染まり行く空が広がっていた。
 空を支配していく異色の紅は、彼女がかつて目にしたものと酷似していた。
 即ち……紅霧異変。
 彼女がかつて解決した異変と、同等或いは似たような気配を感じ取っていたのだ。

「手違いで放出した……とかじゃ無さそうね」

 紅霧は急速に広がり、既に神社まで包み込もうとしていた。
 霧が肌に触れた途端、霊夢の背筋を言い知れない何かが這い上がる。

「こりゃ、洒落じゃ済まないわね」

 持っていた箒を縁側に放り投げ、御幣に持ち替える。

「さて、と。お仕事と行きますか」

 博麗の巫女が、異変解決の為に飛翔した。



 今晩の献立は何にしよう、そんな事を考えながら。





  壱

 紅魔館へと向かう霊夢。彼女は何となく、そう、何となく『嫌な予感がして』人里へと顔を出した。
 人里の上空に差し掛かったところで、里から誰かが浮かび上がってきた。
 誰か、とは言え、人里で飛翔する存在は多くない。案の定見知った顔のその人は、人里の守護者、上白沢慧音であった。

「霊夢! 良い所へ来てくれた!」

 顔面蒼白、そんな言葉がぴったりな彼女が駆け寄って来て、周囲の気配を理解する。昼過ぎなのに、出歩いている人が一切見受けられないのだ。

「……慧音。里の被害は?」
「原因不明の熱病にうなされて、殆どの者が動けない。幸いにも、まだ死者は出ては居ないが……。体力の少ない子供や老人は予断を許さない状況だ」
「そう……」

 原因不明、慧音はそう言った。つまりは、彼女の知識ですら追いつかない何かであると言うことだ。
 と言う事は、犯人は自分の考えている存在ではないのかも知れない、そう霊夢は心の中で呟いた。
 とにかく、大元を叩く方が先決と言う結論を出して、慧音に告げる。

「私は、元凶を叩きに行くわ。それまで、人里はお願いね」
「そんな……ッ! 手が足りないんだ。手伝ってくれ!」

 霊夢は慧音を見据え、静かに伝えた。

「博麗の巫女は、異変を解決するが使命。それは何事よりも優先されるのよ」

 そして、そのまま人里に背を向ける。

「しかし……!」

 すがりつく慧音を振り払おうとしたその時。

「手伝ってあげましょうか?」

 真上から、声が聞こえた。

「ただし、異変解決を、ですけれど」

 見上げる二人の前に、穏やかに笑みをたたえた妖怪がゆっくりと降りて来た。

「ふふ。お久しぶり、霊夢」

 悠然とした笑みを浮かべ、四季のフラワーマスター、風見幽香が片手を挙げる。

「あんたが動くと碌な事に……」

 言葉の途中で、霊夢が硬直する。幽香は、誰かを右肩に担いでいたのだ。

「……ッ!」

 霊夢は慧音以上に真っ青になって、幽香が担いでいる人物に飛び付いた。

「魔理沙……ッ! またあんたは無茶をして!」
「あ、はは……。悪い、霊夢。今回の異変、解決、手伝って……やれ、そうに……ない、ぜ」

 高熱に魘されながらも無理に笑顔を浮かべる人物、普通の魔法使い、霧雨魔理沙が、言葉も絶え絶えに返す。

「さあ、貴女はこの娘の看病をしてやりなさい」

 幽香が差し出す魔理沙の体を、霊夢は僅かに躊躇って受け止めた。

「……私は、博麗の巫女よ。異変を解決するのが私の役目」

 そう言う事を判っていたかのように、幽香は僅か苦笑を浮かべた。

「でもね、貴女も気付いてるんでしょう? この紅霧が貴女に与えている影響を」
「影響……? まさか!」

 漸く思い当たったのか、慧音が声を上げる。

「並の妖怪以上の結界で防いではいるけれど、体調は万全ではない。違うかしら?」

 それを肯定するかのように舌打ちし、幽香を睨み返す。

「どんな状況でも、私が行かないといけないのよ。喩え……」
「自らの命と引き替えになっても?」

 僅かに躊躇った言葉を、幽香がはっきりと口にする。

「そこで躊躇っている内は、まだまだ死ねるほど達観してないって事ね。今回は大人しく私に任せなさいな」
「でも……」

 何とも表現しがたい感情に支配されている霊夢に、幽香は穏やかに笑みを送って見せた。

「心配しなくても、この私がちゃんと吸血鬼くらい成敗してあげるわよ」

 だから信用なさい、言外にそう言われて、霊夢は一枚の札を取り出した。

「簡易結界札よ。腕に巻いておけば、多少の衝撃は殺してくれるわ」
「ありがと。使わせてもらうわね」

 あくまで優雅に微笑んだまま、幽香は札を片手に紅魔館の方へと飛び去っていった。

「……」

 暫くその背中を見送っていた霊夢だったが、慧音に肩を叩かれて振り返った。

「病人は、阿求の家で鈴仙が看病してくれている。魔理沙も、早く連れて行くと良い。
 それと、先程は済まなかった。お前も、人間だものな」
「……気にしないで。巫女なんてやってる時点で、普通の人間のつもりなんてないから」

 辛そうな慧音に肩をすくめて見せ、魔理沙を担ぎ直す。

「さあ、行きましょうか」
「ああ、そうだな」

 霊夢と慧音も人里へと向かい、その場には紅い空だけが取り残された……。





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