「良い月ね、Knowledge」

「お初にお目にかかるわ、紅の王」

「それは私の呼称ではないな――それは受け継いでいないよ。そう言われるのは光栄だけれどね」


 ばさり、と大きな羽が広がる。

 月を背にしたその姿は、どこまでも禍々しく、そして奇妙なことに神々しかった。




紅の王と知識の魔





 序.


 冬の妖がそろそろ眠りにつき、春を告げる妖精がやってこようとする、そんな季節の変わり目。冬の澄んだ空気と、春の暖かい空気がそろそろ同居しようとする時期。
 そんな幻想郷の、霧の湖の湖畔に立つ紅魔館の門前。日が暮れ始めた湖を、二人の少女が眺めていた。

「いい夕暮れですねえ」
「あら、貴女は見慣れてるものかと思ったけれど」
「季節の移り変わる時期、というのはいいものですよ。気の流れが変わる時期でもありますし」
「それは私にはわからないけれどね」

 咲夜は肩を竦めて、美鈴が楽しげに見つめている夕日を見遣る。何が楽しいのかはよくわからないが、そう眺めている美鈴を見るのは悪くなかった。

「そういえば、パチュリー様がいらっしゃったのもこんな時期だったような気が」

 ぽつりと、不意に思い出したように美鈴が呟いた。

「パチュリー様が?」
「ええ、何でしたっけ、五行やら西洋の秘術やらでいい日を選んでやって来た、と仰ってましたよ」
「そういえば、私はその辺りの話知らないわね。パチュリー様と貴女のどちらが先に紅魔館にいたのかも知らなかったわ」
「あまり話題にも出しませんからね。私は紅魔館が此処に来た頃からいますよ」

 何でもないことのように言って、美鈴は遠くに視線を移す。何かを思い出しているようにも見えた。 

「そうなの?」
「ええ。そういえば、私もどうやってお嬢様とパチュリー様が仲良くなったのか知りませんね」

 どう見ても殴り込みだったのになあ、と美鈴はあっさり物騒なことを口にした。

「よし、ではそろそろ休憩と言うこともありますし、聞きに行ってみましょうか、咲夜さん」
「え、私も?」
「ええ、行きましょう。お嬢様が目覚められるにも少しお時間ありますし、咲夜さんも少し休憩と言うことで」

 そう言いながら咲夜の手を引き掴み、美鈴は近くの妖精メイドに休憩の旨を伝えると、咲夜を連れたまま館内に向かう。

「訊きにいくって、誰に訊くつもりなの?」
「パチュリー様に決まってるじゃないですか。こういうのはご本人に尋ねるのが一番いいのです」

 当然のように美鈴は応えた。こうしたときの行動力の高さを、今更のように咲夜は感心するのだった。





 図書館は相変わらず薄暗く埃っぽく、本で溢れていた。咲夜も掃除はしているのだが、下手に扱うと危険なものもあるためあまり動かすわけにも行かず、結局放置しているものが多い。小悪魔にほぼ任せきりの状態である。
 何処にいるのだろう、いつもの場所だろうか、と思いながら、先に立って歩く美鈴の後をついていく。

「ああ、いた」

 果たして、いつものデスクにパチュリーは座っていた。大抵はそのデスクの付近――近くに本が山になったティーテーブルもある――にいるのだが、偶に何の気紛れか、別の場所で読書を始めているので、そういうときは捜索が必要となる。
 小悪魔がいればすぐにわかるのだが、小悪魔自身も図書館を動き回っているので中々挙動がつかみにくい。
 美鈴はどうしてすぐにわかるのだろう、と思うも尋ねる間はなく、美鈴は声をかけていた。

「パチュリー様ー」
「……二人とも、仕事はどうしたの。騒々しい」

 気配に気が付いたのか声に気が付いたのか、パチュリーが声を返してきた。

「休憩中ですよ。丁度交代の時間ですし」
「私は無理矢理連れてこられましたけれど」
「貴女のことだから仕事終わらせながら来たのでしょうね。で、何か聞きたいことでも?」

 パチュリーは視線を本に落としたまま尋ねた。割といつものことなので誰も気にしない。

「はい。パチュリー様が、こちらにいらっしゃった日のことです」
「……私が、来たとき?」
「ええ。丁度この時期でしたでしょう? お嬢様と仲良くなられたのは、どういう経緯があったのかなと思いまして」

 しばらく沈黙が続いた後、ぱたん、と音がした。パチュリーが読みかけの本を閉じたのだった。そのことに、咲夜は僅かにだけ驚く。パチュリーが読書を中断するほどの、それほどのことなのかと。
 続いて出てきた声色は、しかし随分と穏やかだった。

「……随分懐かしい話を持ち出すのね」
「私としても、あの日のことは懐かしく思います」

 そう頷いて、美鈴もまた優しく微笑んだ。その微笑みに、パチュリーも頷きを返す。

「そういえば、きちんと話したことはなかったかしら」
「ええ。ご迷惑でなければ聞きたいです」
「そうね、悪くないわ。あれは、まだスペルカードルールが正式に制定される以前のこと――」

 パチュリーは遠い視線で、懐かしげに話し始めた。


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